第57回 今年はヤマドリも里に来る
テレビをつければ熊被害のニュースでもちきりの昨今。今まで私たち人間を脅かしてきたウイルスや自然災害とはまた異質な脅威が、いつの間にか身近になっている。最近は挨拶がわりに、「山熊田も、さぞ熊が出て大変だろう」と言われることが増えたのだが、実はあんまり変わらない。
確かに町のほうは明らかに熊の被害が増えている。原因はいくつも考えられる。油っこくて最高に美味いブナの実の大凶作、ナラ枯れ、庭先に放置され続けた果樹、山から町へ直行できるバイパスのような河川敷、町慣れした新世代熊、個体数の増加、温暖化、イノシシの生息範囲北上拡大……。
この数年、徐々に人間の生活圏に進出してきていた熊だが、民家近くで罠にかかるたび「不要な果樹は熊を寄せるから切るべき」との進言も、どこか他人事で聞き入れられなかった。
今年は山に食べ物が本当に無いことで飢えて気が立っているのだろう。葉っぱばかりの夏をやり過ごし、秋になったら木の実や果物のご馳走にありつける、と期待していたのに全く実らない。十分な脂肪を蓄えずに冬眠すれば死ぬから寝られない。冬眠とはそもそも、食べ物が無い冬を脂肪貯金を使って生きて越す、究極の飢餓回避術だ。しかし今年は、追い詰められて人里に居座る、眠れない熊が増えるのでは、と心配している。
この村で目立った変化の実感といえば、ヤマドリだ。去年はこの辺りのブナの実は並作で、私も拾って食べたほど。軽く炒って殻を剝いて、ちょっと塩を振りかければ最高の酒のアテになる。スクスク育ったのは熊だけでなくヤマドリも同様で、昨年の秋は実り豊かな山奥から全然降りてこなかった。お正月のお雑煮に欠かせないのだが、全く姿を現さないから、男衆は散々山を歩く羽目になったのだった。
それが、今年は春頃から時々、道に現れるようになった。ウズラよりひと回り大きいヤマドリの雛が、進む車の前を一気に横切る。ちっちゃな恐竜みたいに必死に駆け抜く姿はかわいらしくて、車を止めて過ぎ去った草むらの先をよく眺めたものだった。
ところがどうだ。このごろは頻繁に横切るどころか車にも慣れたようで、逃げもせず道路脇で何かをついばんでいる。立派な尾で、成鳥のオスだとわかる。ひらけた場所や道端には、ヤマドリの好きなモグラ(ミゾソバ)が群生しているし、他の草木の種も吹き溜まっていそうだ。それを求めてこんな危ないところに居るのだろう。
山には食べ物がないのだな、と思いながらまた少し進むと、今度は幼鳥なのかメスなのか、尾が短いヤマドリが三羽、同じく道端で地面をツンツンつついている。
「大丈夫かコイツら……」と危機管理能力がズレた彼らを心配していた頃のこと。村に来た親戚が「来る途中でぶつかってさあ」とオスのヤマドリを私の家に持ってきた。やっぱりそうなったか。どうも彼ら、音なのか振動か、ビックリして車に突っ込んでくる習性があるらしい。春以降、私は「この辺からヤマドリが飛び出してくるかもしれない」と気をつけながら運転していたが、まさか、山奥にいるはずの激レア野鳥がこんなところにいるはずがない、と彼らを知る誰しもが思うだろう。
最近、我が家の前の畑にもヤマドリが歩いていて、九十歳になる義母が叫んだ。「ジョーンコ! ホレ来てみっちゃ! ヤマドリいだ!」
なぜか慌てて素手で捕まえようとしていたけれど、さすがにそれは無理だろう。ずんぐり体型のわりに俊足なことを、私は道で知っている。
母ちゃんは「今までねえこった、村なかに居だことなんてねえ。変な年だ」と、ヤマドリのことなのに熊のニュースと同じようなコメントを述べていて、本当に変な年だな、と思った。
今年も狩猟期間が始まり、男たちは湧き立っている。この時期は熊ではなくヤマドリ狙いだ。案の定、皆二羽ずつ獲ってきて、急遽、初猟祝いの宴会が始まることになった。うっすら予感はしていたが、村の男衆だけだし有りものでいいか。ヤマドリ汁と、腹を空かせた人用に山盛りナポリタン、赤かぶの甘酢漬け。
ヤマドリは夫が捌く。その間、私は大根をかく。大きな大根一本丸ごとをささがきで削ったものが、ヤマドリ汁には定番の具材だ。大根かきには胡座がいい。組んだ足の前にボールを置いて、包丁を持つ右肘は右膝に、重い大根を持つ左肘は左膝に乗せて、が基本スタイルだ。
右手の小指側を向こうへ押し出すように、包丁の刃を斜めに滑らせて、薄くかいていくのだが、薄すぎてもうまくない。左手はくるくると大根を回す。重いから、膝の支えがありがたい。
ヤマドリ一羽に対し、大根一本使うのだが、大根が多そうに思えてもご安心。ヤマドリの出汁を吸った大根は、たちまちご馳走になるからだ。水からヤマドリのガラをしばらく煮て、良い出汁がでた頃に肉と大根を投入。追って味噌を加え、煮え上がったら、斜め切りのネギを投入して完成だ。酒のつまみだから味は濃いめ。振る舞う前の一椀をエベスサマ(恵比寿様)にお供えしてから、鍋ごと宴会場の小屋に運ぶ。



我が家の作業小屋は久しぶりに、活気にあふれる夜だ。母ちゃんと私は母屋で、お供えのお下がりの、黄金色に輝く脂が浮くヤマドリ汁に焼いた栃餅を入れて、二人静かに舌鼓を打った。
12月7日、14日、21 日の3回にわたって、FM京都のラジオ番組「LONG LIFE DESIGN RADIO」(DJ=ナガオカケンメイさん)に大滝さんが登場! 放送は夜6時から7時。関西以外では一週間遅れでspotifyで配信されます。ご本人いわく「シラフかつ借りてきた猫化している珍しい状態です」とのことです。 この番組の収録風景については前回の連載記事をご覧ください。

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。


